自分好みの顔写真と他人が良いとする顔写真の違い
以下、テーマ重いうえ長いです。
「よく撮れてるよ」ともらった写真を見て、ガビーンとなることってありませんか?自分で納得いかないというか。先日、それで(私の写真を撮ってくれた)友人と口論になりかけました。「何が気に入らないの?」と言われても具体的な理由なんて答えられない。気に入らないだけだから。撮ってくれた友人に対して申し訳ないと思ってはいるのですが。
たぶんその「気に入らない」内容は、他人から見たら、大したことじゃないんです。でも当人にとってはいたって大きな問題。例えば、オンナだったら、多少は細くキレイに撮ってもらいたいとか、人が良さそうに撮ってもらいたいとか、その人なりの願望みたいなもの。
この出来事が喉に刺さった魚の骨のように気になって数日が過ぎたのち、偶然、この逡巡を明快に表現した小説を読みました。
姫野カオルコ「整形美女」(新潮社文庫)。
整形手術を悔やみ、元の顔に戻す手術を終えた登場人物の女性に対して、男友達が言うセリフ。太字が引用部分です。
「(中略)男でも女でも、なにかでその人の写真が要るときがあるだろ。お見合いとか(中略)、Eメール文通相手に送るとか。そういうときその人は自分が気に入っている写真、きれいに撮れてるとか、かっこよく撮れてるとか、自分でそう思っている写真を渡してくる。(中略)けれど、その人のアルバムにはたいてい、もっといい写真があるんだよ。その写真にしろとだれかが言っても、本人は"えー、こんなの"なんて言う。」
さらにその場にいた老医師が続ける言葉。
「(中略)本人がわたしてくる写真は(中略)その本人のコンプレックスが、写真のアングルとか光のあたりぐあいとかいった修正液で消えた写真なんです。本人以外の、本人を友愛する者が選ぶ写真は、本人のコンプレックスが出とる写真なんです。(中略)ですが、本人以外には、その本人にしかない陰影のある、じつにいい写真に見える」
これ読んで、ああそうか、と気持ちが落ち着きました。
仕事柄、プロのカメラマンに撮影してもらうことも度々ありますが、その上がりを見て腑に落ちない、ということはほとんどない。おそらく何が求められているのか経験上心得ていて、(自分の表現を抑えて)こちらが喜ぶように撮ってくれるんだと思います。友愛という感情は欠落してはいるけれど。
たぶんコンプレックスと向上心と努力は紙一重。
自分の写真の写り方を受け入れられるように、どこまでもニュートラルに生きていけたらいいのだろうけれど、それでは向上心を失ったり、努力を怠ってしまうような不安もあったりして。難しいもんだ。
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